ここ最近の屁の勢いが尋常じゃねぇ

興味の赴くままに生きた記録をつづる

キャリアとか年収とか人の価値とか。31歳っていろいろ考えるよねという話

会社の給与規定をあらためてじっくり見てみた。

グレードごとの給与の幅が記載されている表だ。

 

先に昇進した同期と自分の年収が、ざっくり100万は違うであろうことが判明。

あの人って40代だけど、20代後半のあの子より年収少ないってこと…?

 

給与の表を見てると、うっかり「年収=その人の価値」と安易に結び付けそうになって危険だ。

 

地元の同級生の年収を知らないし、私も言えない。

先輩が、「大学卒業してからの年数がたてばたつほど、年収の話ってデリケートでできない」と言ってた。

 

卒業したての頃は大体みんな近しい給与だけど、その後どんどん差が開いてくるからだ。

 

現に、今の会社で私以外の同期3人(うち男二人、女一人)は昇格してる。

 

女が独身だったら「あの子は仕事に邁進してるもんな」と納得もできるけど、どっこい二児のママである。

 

子供の人数も年収も負けているなんて…。

と、またもや危ない思考に自分を追いやってしまう。

 

もちろん、会社からの評価はその人の価値を決める一つの側面ではあるけど、全てではない。と、頭ではわかっている。

 

人材としての能力にランク付けしているのであって、人格そのものを肯定・否定するものではないのに。

 

それでも、自分だけいつまでも新しいおもちゃを買ってもらえない子供のような気分になる。

 

 

 

キャリアって何ー?

なんか意識高い系でしんどい(笑)

楽してそこそこ稼げればそれでいいやー。

 

と思いながら20代後半を過ごしてきたが、だんだんそうも言ってられなくなってきた。

 

子供が生まれ、お金があるに越したことはないし、この先そう短くはない会社員人生を過ごすなら、30代半ばまでには昇格しといたほうが、先々転職することを考えてもよさそうだし…。

 

だからといって、「私もみんなに追い付くためにがんばるぞー!」

と目をキラキラ輝かせられるような、“純”な時代はとっくに終わった。

 

「やりがい搾取」とか、「誰かに見させられている夢」みたいな言葉を知ってしまうと、誰かに操られるかのようにがむしゃらに頑張ることの馬鹿馬鹿しさは無視できない。

 

やるなら、したたかに。

負け戦は、しない。

 

28歳くらいから、この二つが働くうえでの標語になった。

 

間違っては無いと思う。

じたばたしなくて済むので、精神的にもすごく楽になった。

でも、別に楽しくもない。

 

「好きを仕事に」することに憧れていた。26歳くらいまでは。

 

書くことや歌うことを、どうにか仕事にできたらなぁと思っていた。

漠然とフリーランスに憧れていた。

 

漠然とってところがミソ。何にも縛られず、自分の能力で社会を生き抜いている人たちに見えたから。

 

今なら、何にも縛られないわけではないとわかる。

フリーが受ける案件の多くは「会社員」から振られるものだろうから、会社の組織構造と無関係ではいられないだろう。

 

フリーランスが向いてる人って、①よっぽど今の職種が好き で ②組織で働くことが精神的に苦痛 な人なのかなぁ。

確定申告とかインボイスとか、想像するだけで面倒くさすぎる。

 

フリーが偉くて、会社員はつまらない。と思っていた。

 

でも、1つの会社で着々とキャリアを積み上げていくこともすごいことだと、今は思う。

会社員は、諦めでも妥協でもなくて、選択なんだって。

 

会社にいながら、二足も三足もわらじを履いて、収入の口を増やす生き方も普通になってきてるし。

 

もちろん、諦めと妥協で日々を不本意に生きてる人たちもいる。

育休ボケで忘れてるだけで、自分もきっとそうだった。

 

でも、「当面はこの場所で職歴を積み上げていく」ことをポジティブに選んだ人たちは、強いしすごいと思う。自分もそうなりたい、かも。

 

 

 

キャリアとかいまだによくわからないけど、「何かしらの軸に沿って仕事の経験を積み上げていく」ことかなぁと思う。

 

何かしらの軸っていうのは、得意なこととか、収入とか、好きなこととか、場所とか。

同じ職種を極めるのか、いろんな職種を経験するのか。

 

積み上げた結果、給料が上がれば万々歳。

上がんなくても、へばらず積み上げつづけてる人は魅力的だ。

 

てなことを、最近は考えています。