ここ最近の屁の勢いが尋常じゃねぇ

興味の赴くままに生きた記録をつづる

31歳の誕生日の朝に

31歳の誕生日の翌朝、自宅のwi-fiが使えなくなった。

後からわかったことだが、深夜の落雷でアパート自体の回線が故障したらしい。Wi-fiではなく、通常の回線に切り替えればスマホは問題なく使えるが、間の悪いことにギガの上限まであと少し。誕生日まで持ちこたえてくれたことには感謝だが、YouTubeポッドキャストSNSのチェックが趣味の私にとって、突然のネト禁はあまりにもきつい。

 

通常の回線はギガを食うから、動画やSNSはほぼ見られない。通信を必要としない暇つぶし方法を頭の中で列挙したのち、ふと思い立ってパソコンでwordを開いた。

 


文章を書くのは久しぶりだ。年はじめに開設したブログは、1週間しか続かなかった。その後はブログにアクセスすることすらなく、放置している。年に1度、プロフィール欄の年齢を1つずつ増やしていくだけになってしまった。昨年は、29を30に書き換えた。今年は30を31に書き換えるわけだが、ネットが使えない今はそれもできない。年を重ねるにつれ、何かを形にすることがすっかり億劫になってしまった。

 


誰もが発信できる時代に、わざわざ自分が発信したいことは何だろう。

「自分の個性を人に見せて、認めてもらいたい。あわよくばそれで金儲けもしたい」。そんな思惑が渦巻くSNSの投稿を眺めていると、ほとほと嫌気がさす。それと同時に、何も手を動かしていない自分が無になったような焦りも感じる。面白くもない、ましてや人を傷つけるような発信をするくらいなら、何も言わないほうが100倍マシだとわかっている。わかっているけれど、むなしかった。

 

自分は他人を見ていたいけど、他人に自分を見せるのは嫌。一方的に受け取るだけのコミュニケーションが1番好きだ。コロナ渦の自宅待機期間、さまざまな有名人がYouTubeライブ配信をしていた。雑談したりご飯を食べる様子を長時間見ていると、さみしさが埋まった。

 


ここ数年、受信特化型コミュニケーションに徹している。

たった今思いついた言葉だ。つまり、自分は発信せず、他者の発信に反応もせず、ただただ他人の発信を受け取るだけ。言葉選びが面倒くさいし、詮索されるのも馬鹿にされるのも嫌だ。大学3年から更新が止まっているSNSアカウントは専ら他人の投稿を見るだけ。しかも、フォローせず、検索機能を使って盗み見ている。フォローやいいねすること自体がコミュニケーションになってしまうからだ。

 

 

SNS上で受信に徹することは簡単だが、現実世界ではそうもいかない。他人と二人きりの時は、自分も何らかの言葉を発さなければ会話が成立しないからだ。だから私は、現実世界でのコミュニケーションも避けていた。育児休暇中なので、他者との関わりをシャットアウトすることはとても簡単だ。

ライブ配信やラジオ、ポッドキャストをほぼ1日聞き続けているのはまさにその表れだと思う。もちろん、受信特化型コミュニケーションにも良さはあって、何より自分と対話できる。ラジオで出てきたエピソードから「そういえば昔こんなことがあったな」「あの時はこうしたけど、今の自分ならきっとこうするな」みたいに考えられるし、過去の自分を成仏できる。今の自分に新しい視点を増やすこともできる。受信特化型は、他者とではなく、自分とコミュニケーションするのにもってこいだと思う。

ただ、あまりに徹しすぎると、リアルな他人との交流がなくなって孤独になっていく実感もある。


もやもやを抱えていたある日、近所でいろんなお酒を飲めるイベントが催された。ライブやダンスのステージもある、わりと大きなイベントだ。司会を務める芸人さんは、私が日常的に聞いているツイキャスの配信主でもあった。イベント前日の配信で「司会の時間以外は屋台ぶらぶら回ってるので、見かけたら声かけてください!」と言っているのを聞いていたので、もし本当に会えたらうれしいな~くらいの気持ちで会場に足を運んだ。


会場でおいしい日本酒を飲み、少し酔いが回ってきたところで、その芸人さんが司会で登場した。いつも声だけを聴いている人が実際にステージを進行している姿は新鮮だった。その後屋台を回っていると、その方が普通に屋台を回っている姿を見つけた。いつもの自分ならそこで帰るが、酒の勢いも借りて勇気を出して声をかけた。すると、配信で聞くままの声で、明るく優しく対応してくれた。自分の日常をそっと支えてくれている人に、直接応援の言葉を届けられたこと。イベント後の配信のなかで「声かけてくれた人がいてめちゃくちゃうれしかった」と言ってもらえたこと。その喜びが、心の扉を少し開いてくれた気がする。

 


丸5日後、無事我が家のwi-fiは復活した。また、何の不自由もなく受信できる日々が始まる。発信することの意味は、正直今もよく分からない。でも、何も行動しないのもそろそろつまらない。一歩を踏みしめるような気持ちでwordの文章をワードプレスに貼り付け、公開ボタンを押した。

 

 

20代の終わり

あと少しで20代が終わる。

 

東京に出てきて、大学に行って、卒業して、会社に入って7年働いた。

その間に結婚して、太って、運動の楽しさを覚えて、痩せて、妊娠した。

引越しを2回した。司書の資格を取った。これまで経験したことのない、世界規模の異常事態にも立ち会った。

 

思い描いていた通りの20代だったかはわからない。

けれど、憧れていた編集の仕事に携わり、人前で歌も歌った。

この先ずっと一緒に過ごせると思える人にも出会えた。

そして今、一生に一度かもしれない「命を授かる」体験をしている。

こう振り返ると、充実した20代といって差し支えないと思う。

 

歳を重ねるにつれ、どんどん美しく魅力を増していく人々をたくさん知っている。

私もそうなりたい。いつまでも年齢不詳でありたい。

 

今後しばらくは、自分のことを忘れる人生を送ることになるだろう。

でも、自分のことばかり考えて終わる人生より、きっとおかしみも味わいも学びもあるだろう。

 

「人生は、理想と現実の妥協点を探る作業の繰り返し。でもそれは絶望ではない。むしろ希望である」

 

きっとこの先には希望しかない。

そう思って、30代を生きていく。

それは星の瞬きのように

妊娠した。

今日で5カ月と6日目らしい。

 

去年の4月から11カ月間トライして、ダメだった。

だから、次ダメだったら病院に行こうと決めていた。

そしたら、滑り込みで妊娠した。

 

生理が予定日を過ぎても来ず、異様に眠く、異様に食欲があった。

いくつかの異変を体に感じ、1週間前に妊娠検査薬で陽性。そして今日クリニックで正式に診断を受けたというわけだ。

 

エコーを見ながら先生は言った。

「おぉ、見える見える。このチカチカしたのが見えますか?星の瞬きみたいに。これが心拍です」

 

正直、授かる前も授かってからも不安でいっぱいだった。

食べてはいけないもの、飲んではいけないもの、とってはいけない行動。世界が急に制限であふれた。ちゃんとお腹で育つのだろうか。いよいよ本気で大人にならなければならないのだろうか。私が自分のために時間とお金を使える期間は、あとほんの少ししかないのだろうか。

 

でも、星の瞬きをこの目でとらえた瞬間、確かな喜びを感じた。

トクトクと、しっかり息づいていた。

 

私の腹に別の命が宿っている。生き続ける理由になると思った。

 

モーニングルーティーン

平日の朝の行動はたいてい決まっている。

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7:00頃に一度目覚める。

起き上がる前に基礎体温計を口につっこむ。パッケージには「10秒ですぐ検温」

と書いてあるが、20秒くらいかかるときもある。

 

体温をすぐに記録したりはしない。次に測るときまで体温計にデータが残っているので、1日の適当なタイミングで基礎体温表に記録する。

 

体温を測った後、二度寝するときもあればそのままトイレに行くこともある。私は頻尿なので目覚めるとたいてい膀胱が痛い。

 

用を足し、寝足りない時は二度寝する。

元気な時はそのまま起き上がり、まずはYouTubeで何かかける。家の中がしんとしていると頭が起きないし、特に平日の朝は憂鬱になるから。

 

洗面所で目の周りを洗い、目やにを落とす。ついでに口もゆすぐ。

そのあと顔に化粧水をスプレーする。無印で買ったスプレーボトルは化粧水が細かい霧になって出てくるのでとても気持ちがいい。肌が潤うし目も覚める。もともと乾燥肌だが、今の季節は特に乾燥しているのだなと実感する。

 

洗面所で体温計の先っぽを洗い(口の中に入れたから)、布マスクも洗う。のどの乾燥を防ぐためにマスクをして眠るからだ。

 

キッチンでコーヒーを入れる。マシンに3杯分の水を入れ、フィルターをセット。コーヒーの粉が入っている瓶を開けるとふわっといい香りが漂う。粉を入れてボタンを押せば、数分でコーヒーが入る。

 

コーヒーが入るのを待つ間、熱帯魚にエサをやる。朝はみんなおなかがすいているので、私が近づくとわらわらと近寄ってくる。ちなみに腹いっぱいの時は見向きもしない。そんなものである。でも可愛いから熱帯魚のことは好きだ。

 

コーヒーが入ったら大きなマグカップに注ぎ、牛乳も入れてカフェオレにする。朝ごはんはカフェオレだけの日もあれば、バナナか菓子パンかチョコレートを一緒に食べる日もある。YouTubeを見ながらゆったり食べて、ここでテンションをあげる。

 

食べ終わったら食器を洗う。前日の夜の分をまとめて朝洗うことが多い。お湯で洗っているうちに体も温まる。

 

洗濯がたまっていれば洗濯機を回す。

 

そうこうしていると9:30頃になっている。

勤怠システムを起動し打刻し、スマホを見て仕事のメールをチェックする。9:30になるまで仕事モードになりたくないので、なるべくメールは見ない。

 

こうしてまた1日が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バレンタインデーの思い出

私は人生で1度だけ、片思いの男子にバレンタインチョコを渡したことがある。

高校2年生の時だった。

 

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作ったのは生チョコトリュフ。練習用と本番用で2度製作した。

10センチ四方の小箱にたどたどしくリボンを巻いた、いかにも本命感漂う代物だった。

 

バレンタイン当日、片思いの相手であるN川くんを高校近くの公園へ呼び出して渡した。すぐに帰るのがいやで、公園のトイレ前のベンチに座って30分くらい話した。何もトイレ前じゃなくても…と今となっては思う。ただ当時はとてつもなく幸せで、「私は今、青春している」と確かに感じていた。

 

「好きです」とは口にはしなかったものの、あんな本命っぽいチョコを渡したし、告白したも同然と思っていた。私はN川くんからどんなお返しがくるかと期待していた。

 

そしてホワイトデー。3限目の後、N川くんが義理チョコをくれたクラスの女子たちにカプリコを配り始めた。お返しがカプリコかよ…。まぁ義理チョコへのお返しだから、妥当ラインか。私へのお返しもカプリコだったらどうしよう。…いや、でもほしい!私だってカプリコほしい!見て見ぬふりをしながら、でも横目ではしっかりとN川くんの動向を追っていた。

 

N川くんがカプリコを配り終え、自分の席に着いた。

 

…え?私の分は…?

 

横目では飽き足らず、今度はしっかりとN川くんを視界にとらえた。彼は黙々と小テストの準備をしていた。

 

…まさか、忘れてる…?

 

しかしスーパーポジティブな私は、「カプリコはあくまで義理チョコへのお返し。本命チョコにはあらためてとっておきのお返しがあるに違いない」と思い直した。

 

放課後。私はN川くんの動向に目を光らせていた。

彼は教科書を鞄に入れて部活の用意を整え、さっさと教室を出て行った。

 

いや待て、シナリオが想像と違う。

 

「彼はそもそもお返しをする気が無いのではないだろうか…それが意味するところは…つまり失恋?」

 

焦った私は周りの友人たちに聞きまくった。

 

「N川くんからホワイトデーのお返しがこないんだけど…これって振られたってこと?」

 

友人たちは「照れてるんじゃない?」「本命へのお返しだから、いいもの返さなきゃって悩んでるんだよ。そういうの慣れて無さそうじゃんN川くん」と、あくまで“時間がかかってるだけ説”でなぐさめてくれた。

 

しかし待てど暮らせどお返しはない。

数日後、しびれを切らした私はついに本人を直撃した。

 

私「あのー、私バレンタインチョコあげたと思うんだけど」

N「えっ、あ、うん」

私「そのー、お返しがないっていうのは、その、どういう意味なんでしょうか!?!?」

N「え…」

 

N川くんは明らかに動揺していた。

好きでもない女から一方的にチョコを渡され、そのお返しがないことの意味を問われている。こんなに迷惑な話はない。

 

さらに地獄は続く。

N川くんの手に紙袋がぶら下がっていたのを発見した私は、

「もしかして、それが私へのお返しだったりする!?!?」と追加質問をした。

 

N川くんは絶句しつつ、怯えた顔で紙袋を後ろに隠した。

「いや…これは違う…」

 

「あ、そうなんだ…ごめんなさい」としか言えなかった。

N川くんは「ちょっと選ぶのに時間がかかってて…近いうちに渡すね」といって逃げて行った。

 

翌週、N川くんからお返しをもらった。

きなこに包まれたチョコボール8個。毎日1つずつ大切に食べた後、包み紙を押入れに大切にしまった。我ながら本当に気持ち悪いと思う。

 

その後私は正式にN川くんへ告白をし、当然のごとく玉砕。「大学受験で忙しくなるから」とお茶を濁された。

 

以上が私のバレンタインデーのほろ苦い思い出だ。

 

卒業後のN川くんのことはよく知らない。

人づてに聞いたところによれば、高校卒業後2浪したものの進学はせず、市役所に入ったそうだ。しかし上司の印鑑を勝手に使って何らかの書類を処理しようとし、地元に新聞に載ってしまったようだ。

 

今となってはN川くんのどこに惚れていたのか分からない。

ただ、髪の毛が茶色できれいだった。斜め後ろから見えた、笑った時の目尻のしわが優しかった。図書館の窓から見た、自転車の立ち漕ぎをする背中が小さかった。

 

ただひたすらに無気力な状態が続いてるんだけどみんなはどう?

小学生のころって、やたら何か作ったり書いたりしてそれを見せ合いっこしてませんでした?

 

私はしていた。

 

小学5年生のころ、漫画を描くのが得意な子が「クラスの係に新しく“漫画係”を作ろう」と言い出したので私も何となく参加し、『うえきばち君』というその名のとおり植木鉢に顔と手足が付いたキャラクターが主人公の作品を教室の壁に貼っていた。

 

なぜ植木鉢を主人公にしたのかは全く分からない。たぶん書きやすかったからだろう。うえきばち君は作中で「うえどの」というニックネームを付けられ、突っ込み役にまわったりあるいはぼけたりとキャラクターの軸がぶれまくっていた。

 

A4サイズの画用紙を適当にコマ割りして、1週間に1回以上のペースでせっせと更新しては掲示していた記憶がある。昼休憩や放課後、家に帰ってからなど、隙間を縫っては描いていたのだ。

 

『うえきばち君』の前は、ありふれた少女漫画チックなもの(目の中に星が3つくらい入ってるような)を描いていたのだが、とある男子から「こんなん、ぜんぜんおもんねぇ」と正面切ってディスられたことをきっかけにギャグ系へと路線変更した。

 

それ以降、「あれ、続きいつ描くの?」「今週のやつ面白かったなぁ」と数人から声をかけられることもあり、すごくうれしかったことを覚えている。

 

小学3年生のころ一番仲の良かった女の子はジブリ作品オタクだった。フィルムコミックなんかを買い込んでは自分でも作品の絵コンテを真似て書いたり、作品に登場する架空の場所を舞台にオリジナルのストーリーを作って小さな冊子にまとめているのような子だった。そういう子に影響されて、いろいろ作っていたんだと思う。

 

千と千尋サウンドトラックをねだって買ってもらい、曲中に出てくる和楽器的な笛の音をどうしても自分で再現してみたくて、リコーダーで音を取りながら自分しか読めない譜面を起こし、繰り返し練習していた。今でも吹けと言われれば吹けるはずだ。

 

あの頃はアウトプットを特に意識せず、頑張ることもなく、湧きあがるように日常的に行っていた。ナチュラルクリエイターだ。

 

私は今後どうしていきたいんだろう。

26歳。あと何年生きるんだろう。寿命が分かったらもっとやる気が起きるんだろうか。

 

毎日地道に何かを発信している人を尊敬してやまない。自分もそうなりたいと思う。でも、一体何を誰に向けて発信したいのだろう。なぜ自分もそうなりたいのだろう。

 

Twitterをみれば、「ライター」という肩書きで自分の考えを世間に公開している人が山のようにいる。そんなに発信したいことがあるのか。その原動力はどこから来るのか。「あなたは何のために、誰のためにそれを書いて発信してるんですか?」と問うてまわりたい。

 

私はただただ寝ていたいしダラダラしていたい。好きなことだけやりたいし、でも認められたいし、無駄な努力はしたくないし無駄に傷つきたくもない。みんなはそうじゃないの?そうでありながらも発信しているんだとしたら、一体全体それはなぜなの?

 

こんな心のもやつきを垂れ流してしまい申し訳ないが、誰が見ているかもわからないからどうでもいいやと投げやりである。

 

「成功って何?」

ある飲み会で独り言のようにつぶやいた。すると一緒に飲んでいたある人は言った。

 

「自分の思い描く通りに生きることができれば、それが成功じゃない?」

 

ものすごく正解なように思う。

でも私は自分が思い描く自分の人生がわからない。

 

早く歳をとってしまいたい気もするが、永遠に時が止まってほしいと思う。

たくさんの人に自分を知ってほしい気もするが、もし知ってもらえたとしても早々に疲れて布団にまるまっている自分が容易に想像できる。

 

仕事に打ち込みたいとも特には思わない。願わくばずっと遊んで暮らしたい。お金に困ったら親に助けてもらいたい。命に危険が及ばない範囲で、気が向いたら冒険したりして穏やかに歳をとり、子どもと孫に見守られて痛くなく死にたい。

 

痛くなく死ぬってことは寿命で死ぬってことだから、今の医学の感じからすると80か90くらいまでは生きるだろう。それまでの54年か64年が私の持ち時間ってことだけど、何の目論見もなく生きるとすればそれってなかなか膨大な時間だ。逆にあと数年で死ぬ場合はより深刻な問題で、今のこの状況のまま死んだとしたらどうにも死にきれない。

 

いや、だから有意義に生きていきたい!って思ってるんだよずっと私は!!!

行動にうつすのがめんどいだけで!!!!なんかに手ぇつけかけても「うーんと……で……?これやって人生どうなんの?(笑)」と秒で俯瞰して嘲笑してしまうだけで……

 

無邪気に、何も考えずに物を作って人に見せていた、小学生のあの頃の自分にもう一度なりたい。「今週面白かったね!」「続きいつ出んの?」って、もう一度言われたい。

 

話の収集が付かなくなったので、うちの可愛い魚の写真を貼って終わりにする。

 

魚

 

ではまた~

 

ファミレス映画館特別編(男はつらいよレビュー)の公開収録に行き、ついでに新潟観光した話。その①

元々、あんまり旅行が好きではない。

 

父と母は割と旅行好きで、小さいころから車でいろいろ連れて行かれたのだけど、その時に疲れたり退屈だったりした記憶が強いんだと思う。

 

そんな私(東京住み)が今回唐突に新潟へ向かったのは、心から大好きなネットラジオ番組『ファミレス映画館』特別編の公開収録が新潟にて行われたからでした。

 

軽く説明すると、『ファミレス映画館』とは漫画家の古泉智浩さんが相棒(たまに変わる)とともに最近見た映画の感想を語るネットラジオ。ガストとかサイゼみたいな店で収録しており、映画に対する満足度に合わせてデザートを注文(好評価なら高めのデザート、低評価なら安いデザート)し、食いながら感想を語り合うという内容でござます。

 

その番組の番外編(特別編)として、映画『男はつらいよ』を第1作から鑑賞してその感想を語るというのがこのシリーズの趣旨。

 

レギュラーメンバーは古泉さん、北書店という新潟の本屋さんの佐藤店長。この二人以外にも飛び入り(?)的に他の人が参加することも。月刊『シネウインド』というフリーペーパーの編集に携わっている久志田さんも準レギュラーになりつつある。

 

その2人もしくは3人が、各回の印象深い場面や「あのシーンの寅とおいちゃんの掛け合いが最高なんだよね~」といった名シーンなんかについて語り合う。寅さんシリーズに欠かせない各回のマドンナのうち、1番推せる女(通称・ベストマドンナ)を最後に発表しあうのも楽しい~。

 

で、ファミレス映画館公開収録の実施日は4月12日金曜日20:00~@新潟北書店。ガンガンに会社はあるが、17:00前に退社して新幹線に乗れば19:00には新潟に着く。

 

当日は「17:00から軽い打合せの後直帰」という見事な嘘スケジュールを周囲に宣言し16:00過ぎに会社をおいとま。さっそうと上野駅から新幹線に飛び乗った。

 

飛び乗る前に「チキン弁当(900円)」と「軽井沢高原ビール(300円ちょっと)」を購入。

 

上野駅で購入した駅弁

 

上越新幹線はびっくりするほど駅弁の選択肢が少なく、あとどれもめっちゃ高い。だからとりあえず失敗しなさそうな唐揚げ入りの上記弁当を購入した。「温めて食べたかったな……」以外の感想が浮かばない感じの味でしたね。

 

ひたすら寝て、自分のよだれで目覚めたらもう新潟に着いていた。

 

時刻は19:15。公開収録の会場である北書店までスムーズに行ける出口は「万代出口」だったんだが、「万代」をなんと読むのか分からず、ずっと「まよ」と呼んでいた。正しくは「ばんだい」らしい。

 

そんなこんなで北書店に到着。お店の外観写真撮っておけばよかった。暗い通りに白い光があふれだしてて、「いい本屋」という感じのオーラを放っていたなぁ。閉店後だったから人はいなかった。

 

店内に入ると、レジの近くでイヤホンして何かを聴きながら本を読んでいる男性を見つけた。黒髪で、眼鏡はかけておらず、おそらく歳は40代中ごろ。

 

以下私の心の声。

 

{あの席に座ってるってことはおそらく店の人だよなぁ。……あの人が佐藤店長か?……でも若そうだし。佐藤店長って60代くらいだろうから(声から推測した勝手な決めつけ)きっと人違いだよなぁ。でもこの人しか店の人いないし、声かけてみよう}

 

(私)「あの、すみません……」

 

男性は若干迷惑そうな表情で「……へっ?」と言いながらイヤホンを取った。

 

(私)「『ファミレス映画館』の公開収録に来たんですが……」

 

その瞬間男性の顔がちょっとほころぶ。「あぁ、あぁそうですか!始まるまでちょっと時間あるんで、そこら辺でちょっと待っててください」

その人こそが佐藤店長だった。眼鏡かけてひょろっとしてる江戸っ子なおじいさんの姿を想像していたから、若々しくて驚いたなぁ。20:00ちょっとすぎに古泉さんもやってきて、久々の再会~。私のことを覚えていてくださって感動。

 

皆さん、私がこの収録のためだけに東京から出てきたことにめちゃくちゃ驚いてた。「え、仕事かなんかが新潟であってそのついでとかじゃないの!?!?」「え、何それアンタ正気!?!?」みたいな感じで驚きつつもうれしそうにしてくださったのが超うれしかったですね~、このラジオのファンであることを伝えられた感じで。

 

閉店後の書店内で小さな机をしっぽりと囲み、ビールや地元の日本酒を呑みながらいよいよ収録開始。録音はスマホを真ん中に置くスタイル。そのラフさがまたいいんです。すみっこに居させてもらえれば十分だと思ってたけど、皆さんの計らいでちゃっかり4人目のメンバー的な位置に座らせてもらえて。

 

古泉さんの冒頭のコール、「ファミレス映画館をお聴きの皆さん、こんにちは、漫画家の古泉智浩です」を生で聴けてベタに感動~。こうやって収録されてんだなぁ。いっつも聴いてるラジオの収録現場に私は今参加させてもらってんだなぁと思うとさらに感極まり。

 

そこからはいつも通り、佐藤店長のすばらしい記憶力と語り力により鮮やかに再現される名シーンのハイライト。そこに入る古泉さん、久志田さんの絶妙な合いの手。スクリーンを見ているかのような鮮明な描写は毎度毎度圧巻ですわ。

 

今回取り上げられた作品は21作~24作。さくら大好きな私にとっては、24作でさくらがアメリカ人のマイコーにモテちゃう(もちろん博と結婚してるし息子の満男もとっくに生まれてる)回がたまらなかったなぁ。

 

思い入れのある回もそこまでない回も、彼ら目線でピックアップされた場面場面に対する感想を聞くうちに、自分ひとりで鑑賞した時には見えてこなかった良さがじわじわ来るんだよね。

 

これ以上細かくは書かないけれど、まぁ本当に楽しい、爆笑起こりまくりな(特に古泉さんと佐藤店長による“大原麗子論争”は必聴)回なので、何はともあれ聴いてください。

 

sanpeieigakan.seesaa.net

 

最後のベストマドンナ発表でナチュラルに禁忌を犯してしまった自分を猛反省……。正直21作~24作のマドンナは個人的にびびっと来る人がいなくて、とっさに「さくら!」と答えちゃったんだよなぁ。くぅ~、皆さんすいません。

 

収録が終わってからもゆるゆる雑談。「今夜は一泊して次の日軽く観光する」旨を伝えたら、皆さん次から次へと美味しい店とかスポットを教えてくださった。ツイッターDMで整理して送ってくださった佐藤店長の温かみに感動。

 

 

せっかく書店に来たんだからということで、北書店で寅さん関連の本を1冊購入~。

 

北書店で購入した「おかしな男 渥美清」

 

まだちょっとしか読めてないけどね(昔の映画や舞台の固有名詞が多くて、正直そこは今は読み飛ばしている)、俳優・渥美清という謎深き男のことをコミカル且つ愛情深い視点で描いていてぐっとくる。

 

本当は古泉さんが持っている『寅さん大全/井上ひさし著』を買いたかったんだが、今や絶版らしく、欲しけりゃ古本屋で買うしかないらしいです。

 

そんなこんなで23:00過ぎにおいとま。

割とここ数年で1番幸せな時間だったかもしれない。

 

次の日の新潟観光の模様はまた改めてしたためるということで。

 

ではまた~。